司馬遼太郎でバランスを
はじめに
2回目で取り上げたのは、安部公房。
私見が入りすぎたことを反省しています。
あくまで自由に、そして偏りなく、押し付けがましくなく。
これをモットーに進めていきます。
バランスをとるため、司馬遼太郎を取り上げます。
今回もすこし硬い案内になりますが、どうかお付き合いください。
司馬遼太郎のイメージ
正直いうと、彼の作品を精読したことがありません。
・組織に生きる男を主人公に据えた物語 が想像できること
・日頃、かたいと感じる父親の本棚に彼の作品が多くあったこと。
この2つが大きな要因で意図的に手に取ることをしなかったように思います。
しかし、古本屋で『アメリカ素描』を見つけ読んでみると、まさに目から鱗でした。
引用します。
普遍的という意味で交通信号は文明である。•••
文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。
立ってあけてもいい、という合理主義は•••成立しえない。
不合理さこそ文化の発光物質なのである。同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に•••安堵感をあたえ、自分自身にも•••安堵感をもたらす。
日本人には江戸期の伝統があって礼儀正しい。その点はすばらしい•••
ただ上司に対する下僚の場合、•••同民族ながらおどろくことがある。言いにくいことだが、卑屈が礼儀になっている。
•••お角力さんが土俵に上がってくるときの顔に、上下関係を外したときの日本人の表情をみて、じつに結構なものだと思っている。
日本について不思議に思うのは•••進んで収入の少ない道ー役人とか大会社の社員とかーを選んだりする。
(中略)
私はやむなく資本主義の発展史を簡略にのべざるをえなかった。江戸期ではいかなる豪商よりも、その日ぐらしで、かつ金銭に清潔でかつ行政者である武士の方が尊敬された。それが文化にまでなって、•••いまも続いている、と説明した
「田舎の三年、京の三日」といいますな
(中略)
「田舎とは日本のことですか」
「日本にかぎらず、慣習がつよく人間の独創性を拘束している社会は、どの国でも田舎でしょう」•••
むろん、田舎には田舎のよさがある。それは一種類の文化による安定ということである。
あとがき
安部公房と対比して読むことができるのではないでしょうか。
あとは自由に読んでください。
最後に、気に入った文章を引用して3回目を閉じます。
ニューヨークは散歩にむかない。
(中略)
気弱になれば、チョコレートの仕切り箱に迷いこんだアリのような気分になってしまう。
ニューヨークはもとより、彼は自分の人生をしっかりと歩いているという感じがした。
自らの歩幅で、無理のない道を、キョロキョロせず、1点をみて、しっかりと。
終わります。