読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

やれやれな朝に変化を

はじめに

想像してください。

出勤して、朝礼。

変わることのない朝。

ヘドが出そうなやれやれな朝。

 

目はうつろ、体はたるみ、見るに堪えない社員。

個性は消え、立っていろと言われればいつまででも立っていることでしょう。

 

こんな職場に、3分間スピーチという気まぐれな取り組みがはじまった。

一筋の光を差し込むためには、村上春樹の紹介しかない。

私はこう思った。

 

 

3分間スピーチ全文

 ハルキストからの村上春樹紹介

 まず、ハルキストの定義を調べてみました。ネット社会にはさまざまな定義が溢れていました。ちょうど中間をとってまとめると、「村上春樹の本を読破しており、なんらかの影響を受けている人」ということでまあいいようです。私は、村上春樹氏の作品を読破してから3年ほどが経過しているし、新書が発売されれば当然購入しています。

 頭の中にとどまらず、無限に広がる情景、心を鷹の爪で掴まれたかのような心情、そういった描写に出会うと背筋がゾクゾクします。また、これからの話を聞いていただければ、村上氏の本から影響を受けていることがわかると思います。(いま話しただけで充分伝わったかもしれませんが。)

 このことから、私はハルキストと名乗る資格は充分にあるようです。

 

 さて、本題にはいります。

 今日の発表の狙いは、ハルキストの接近によるハルキストの獲得では決してありません。ですから、喫茶店にいるようなきもちで話をきいていただけたらと思います。イメージのみが先行しがちな村上氏を違った視点からみるためのきっかけづくり、それがこのスピーチの狙いです。

 

 「村上春樹は大作家である」これに異論はないと思います。ここで言いたいのは、売り上げ部数ではありません。今なお国境を越えて次々と読者を増やしている事実です。これは非常に稀なケースです。唯一と言ってもいいかもしれません。これは村上氏の作品にあるテーマを読み取り、それをよりどころとする人間がいるという客観的な根拠になるはずです。

 客観的な根拠を示した上で、世でくだされている評価について考えていきます。(これがなければ、単なる熱狂的読者の話で終わってしまうので。)

 

 みなさんも一度は村上氏の評価を口にしたことがあるのではないでしょうか。

 評価として多いのは次の通りです。

 

 村上春樹は好きではない。意味がわからない。買ったけど読めなかった。

(こういいった評価の時に出てくる作品は『ノルウェーの森』最近の作品で言えば、『1Q84』が非常に多いです。)

 

 こういった評価を聞くと、「ああ、そうか。もったいないな。」とわたしは頭を抱えてしまいます。なぜなら、これらの感想はごくごく自然なことだとわかっているからです。村上氏の文章は分厚く、重く、複雑です。

 

 競泳選手が水中を進むように読み進めることはできません。光のない地中、硬い土を時間をかけて掘り進んだり、絡み合う木の根をくぐり抜けたり、時には後退の道を選択し、岩をよけて進む一匹のもぐらのように文章を読み進めなければいけません。

 

 どうすれば皆さんがもぐらになり、再び、あるいは新たに村上春樹という地中にもぐっていけるのか、この機会をきっかけに真剣に考えました。

 

エッセイに綴られた一節を引用するのが一番いいのではないかという答えがでました。それでは紹介します。

 

・・・僕の小説で語ろうとしていることは、ある程度要約できると思います。・・・「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけられる人はそう多くない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し続けなければならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」                  『雑文集』

 

人生の探しもの。見つかるかもしれません。

村上春樹の見方が少しでも変わっていただけたなら嬉しいです。

ありがとうございました。

 

 あとがき

発表後、どのような表情が見れたか、どのような声が聞けたか、どのような雰囲気になったのか。

また、私の会社での立ち位置。

それはご想像にお任せします。