オープンリーディング

1.はじめに

週末に散歩をしていると、近所の大学には車が隙間なく駐車されていました。

オープンキャンパスの時期なのですね。

そこで、「オープンリーディング」と題名をつけて本の紹介をします。

大学進学を考える高校生、暇を持て余す大学生に特にお勧めします。

大学に行く意味働く意味づけをする材料になるはずです。

 

「一語一語噛み砕いて」「丸ごと飲み込んで」「部分的に切り取って」

とにかく、持論を持てるよう頑張ってみてください。

 

 

2.引用

パリの皿洗いの生活について、わたしの考えるところを述べておきたい。・・・

現代の大都市で、何千という人が、目をさましているかぎり地下の熱いあなぐらで皿を洗っているということは異常なことだ。・・・問題にしたいのは、なぜこんな生活が続いているのかという原因である。・・・何の役に立っているのか、・・・継続することを望んでいるのは誰なのか、その理由は何なのか。

・・・皿洗いは現代世界の奴隷の一つだということを言っておくべきだろう。・・・この奴隷にあたえられている自由は、奴隷が売買されていたころと変わってはいないのだ。・・・人に屈従しなければならず、手に職もない。給料はやっと生きていけるだけのもの。唯一の休暇は首になった時だけである。結婚とは縁がなく・・・幸運に恵まれないかぎり、・・・他にこの生活から逃れる道はない。・・・大学を出ながら一日十時間から十五時間皿洗いしている人間がいるのだ。・・・怠け者だからだ、とは言えない。怠け者では皿洗いは務まらないのだ。彼らは単に、思考を不可能にしてしまう単純な生活に捕まっただけなのである。皿洗いにすこしでも思考能力があったとしたら、とうの昔に労働組合を結成して、労働改善を要求するストライキを打っていただろう。ただ暇がないから、彼らは考えることをしない。この生活が彼らを奴隷にしてしまったのだ。

・・・問題は、なぜこの奴隷制度がつづいているのかということだ。われわれはとにかく、すべての労働には当然健全な目的があるはずだと考える。誰か他人が嫌な仕事をしているのを見ても、あの仕事も必要なのだと言えば、それで事はすんだと考える。・・・文明社会なのだから、問題にするまでもない、というわけだが果たしてそうだろうか。

・・・われわれは重労働で不愉快なものなら「まっとうな」仕事に違いない、という気持ちになる・・・木を伐っている人を見れば、筋肉を使っているというだけで、社会的役割を果たしていると確信してしまうのである。美しい木を伐り倒して醜悪な銅像を建てる空き地を造っているのではないか、などとは考えもしない。・・・額に汗してパンを稼いでいるが、だからと言って有益な仕事をしているという結論は出ない。

・・・なぜ皿洗いをあいかわらず働かせている人間がいるのか、・・・経済的理由よりもさらに深く、人が一生皿を洗っていると考えては、ある人間が嬉しがる理由を考えてみたい。・・・仕事が必要だろうとなかろうとそれは問題ではなく、働くこと自体が(すくなくとも奴隷にとっては)いいことなのだから、働かせろ、というのである。この感情はいまでも残っている。それが山のような無益な仕事を生み出すのだ。

 無益な仕事を永続的なものにしようとするこの本能の根本には、要するに、大衆にたいする恐怖心があるのでないだろうか。大衆というのは低級な動物だから、暇を与えるのは危険である。・・・体制が変わったら陰気なマルクス流のユートピアにでもなるだろうと思うから、現状維持を選ぶのだ。

・・・大衆を恐れるのは迷信である。・・・大部分の金持ちと貧乏人を区別するものは収入だけであって、平均的な大金持ちは、新調した服で盛装した平均的な皿洗いと変わりはしない。

・・・貧乏人と対等につきあったことあるものなら誰でも承知している。

・・・知識人は飢餓体験とは無縁なのだ。・・・大衆に迷信的恐怖心を抱くのも当然である。・・・一日の自由を得ようとして、下級階級の大群が彼らの家を襲い、本を焼き、機械の番をさせたり、便所掃除をさせたりするのではないかと想像する。・・・考えてしまう。「どんな不正があっても、大衆を解放するよりはましだ」と。・・・金持ち大衆と貧乏人の大衆に違いがない以上、大衆を解放しても何の問題もないということがわかっていない。現実には大衆はすでに解放されているのであって・・・巨大な倦怠を生み出す原動力になっているのは彼らなのである。

 

 

「まあ、何かに興味を持たないとな。浮浪者だからといって、紅茶とパン二切れのことしか考えられないわけじゃない」

「しかし、何かに興味を持つのも容易じゃないでしょう・・・こういう生活をしていると?」

「大道絵師ってことかい?いや、そんなことないよ。かならずしも、意気地なしになるものでもないんでね つまり、何かに打ち込んでればだが」

「たいていの人間はそうなっちゃうみたいですが」

そりゃ、そうだ。バティだってそうだ。こそこそ茶ばかり飲んでるだけで、吸い殻を吸うっきゃ能がない。多少の教育があるんなら、このさき一生放浪生活をしたってかまうことはあるまい」

「そうかな、ぼくは反対のことを考えてましたがね。金をとりあげられたらさいご、その男はそれっきり何もできなくなっちゃうんじゃないかと思って」

「いや、そうとは限らない。その気になれば、金があろうがなかろうが、同じ生き方ができる。本を読んで頭を使っていさえすれば、同じことさ。ただ『こういう生活をしているおれは自由なんだ』と自分に言い聞かせる必要はあるがね」 彼はここで額を叩いた 「それでもう大丈夫だよ」

 

 

やがて船は、ティルベリー埠頭に接岸しようとした。まず目に入った岸の建物は、まるで精神病棟の塀の上からじろじろと眺めている患者たちのように、英国の海岸からこっちをにらんでいる。 

 

 

そこは浮浪者のためのれっきとした休憩所である 草ぼうぼうで、彼らが残していった濡れた新聞紙や錆びた缶を見れば、すぐにわかった。他の浮浪者たちも一人、二人とやってくる。よく晴れた秋日和だった。すぐそばに一段低くなった、ヨモギギクの植えてある花壇があって、このときのヨモギギクの強い匂いは今でも思い出せる気がする。その匂いが浮浪者たちの臭いと競いあっていたのだった。

 

 

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

 

 

3.おわりに

少し難解な引用だったかもしれません。引用文も長くなってしましました。

少しでも気になる部分がある方は是非読んでみてください。

普段は触れることのない方向から問題提起があります。

日本に暮らす人にとっては発見があります。

この作品は、文学作品としても優れていると感じました。

つまり、文章、描写がうまいということです。

下2つの文章を引用したのはそういった理由からです。